愚かなる独白

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愚かなる独白

ろくでなしの雑記

三池監督ムチャクチャなアクション映画『極道大戦争』

極道大戦争



公開前から一応知ってはいたんですけど、あんま面白そうじゃなかったので無視してた映画です。でもNetflixにあったんで観てみました。

観た感想ですが、つまんなかったよ。コメディですが別に笑えなかったし、アクションも大して面白みがなかったという印象。

アクションの構図が悪いし、カメラを動かして見辛く迫力もない。と言っても主演の市原隼人の動きはやっぱりキビキビしていて良かったですね。市原隼人は基本的に演技が下手ですが、こういう不器用で野蛮な役なら似合うし良いと思います。

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この映画の設定はぶっ飛んでいて確かに面白みはあるけど、なんか期待通りに進んでくれないモヤモヤがあるんですよね。

「ヤクザはカタギの血を吸って生きている。じゃあカタギが皆ヤクザになったらどうなるの?」ということから発想した設定でしょう。そう聞くと、例えばヤクザのシノギの問題だったり、社会がどう変化するのかとか、こっちはそういうのが見たいのに、本作ではその辺を全然描いてくれない。一応警察が機能しないことを示すシーンはあるが、あの程度じゃ描いたうちに入らない。

なので、カタギの血を吸って生きていたヤクザが、カタギがいなくなって困ってしまうということに切迫感もないし困っている様子が伝わらない。「この街から出ればいいじゃん」としか思わなかった。

親分が変な奴らに殺されて、市原隼人が吸血鬼になり、元いた組からも弾かれて、どんどん吸血鬼を増やしていき、吸血鬼ヤクザ対ヤクザの対決になるが、その対決だけを描いていて背景がない。つまりストーリーがない。だから肝心の戦いも全然のれない。

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設定がムチャクチャだからこそディテールをしっかり描くべきだろうに、ディテールもムチャクチャだからこっちも真面目に観れないんですよね。まあそれでもギャグが面白ければ良いのだが、そのギャグも面白くない。

最強の敵がカエルの着ぐるみというのも一応ギャグだけど別に面白くないし、そういう無茶な設定や描写も、全てが作り手の”無茶のための無茶”のように見えて、それが薄ら寒いと感じた。なんていうか「ほら、狂ってるでしょ?」みたいな。

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でも問題なのは、ギャグがつまらないことでも設定が荒唐無稽なことでもないと思います。なぜこの映画がつまらなくなってるかというと、やっぱり誰を応援していいかわからないからですね。上記したように、ストーリーやその背景が描写不足だから誰も応援する気にならず終始苦痛なんですよ。

なので僕は成海璃子ちゃんの唇に吸い付く妄想をして、なんとか最後まで観たが、その成海璃子ちゃんもちょっとしか出てこないし、マジで何だこのやろう!って感じです。

三池監督のような悪ふざけがすぎる独特の監督の場合、ストーリーは王道にしたほうがいいと思うんですよね。『ドライブ』の時のニコラス・ウィンディング・レフン監督みたいに。『ドライブ』は変わった手法だし独特の映画に仕上がってはいるがストーリーはバリバリ王道だから、その相性がマッチして超格好いい映画になったわけだからね。

ということで、作り手の皆さんには申し訳ないですけど、おすすめはしないかな。たいしてネタにもならそうだし……。

 

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品川祐監督作『Zアイランド』は中途半端…

Zアイランド



今更だけど品川祐監督の『Zアイランド』を観ました。結論から言うと、全体的に中途半端でつまらなかったですね。興行的にもスベったみたいだし、あまり期待はしてなかったんですけどね。

まず一番の問題は、笑いの要素が邪魔になっているという点ですかね。

この映画ではキャラクターたちが終始漫才的な掛け合いをしたり、ボケたりツッコんだりするわけです。しかもそれがゾンビが出てきて逃げているシーンでも行われるので、登場人物がふざけているように見えるんです。つまり真剣に生き延びようとしていない感じ。

それによって、観ているこっちとしても真剣に入り込めないし大して焦りも生まれないので、前半はいいけど中盤あたりからダレてくるんですよね。

ゾンビによる恐怖や死を描くのであれば、キャラクターたちはもっと真剣に行動すべきだし、その行動や思考も観客と同じ水準かそれ以上のレベルに持っていかないといけないと思うんですよ。

つまり「ああすればいいじゃん」とか「こうすればいいじゃん」と観客に思わせないくらい、説得力のある行動をしてほしいってこと。「こういう状況になったら自分もこうするかもしれない」とか「こうするしかないんだ」と思わせることでサスペンスが生まれて、観客にも緊張感が生まれるわけなので。

なのに本作では、例えば本土から助けを呼ぶために110番する時に、ゾンビって単語を使うといたずらだと思われるからゾンビって単語は使うなと言ってるのに、登場人物たちが揃いも揃ってゾンビって言ってしまうというお笑い展開があったりして、観てる方としては「バカかよこいつら」って感じてイライラしちゃうわけです。だからその辺をもっと考えて欲しかったなぁ。

でもそれじゃあ笑いの要素を入れられないじゃないか、と思うかもしれませんが僕はそれは違うと思います。むしろ真剣にやればやるほど笑いを生みやすい環境になると思います。

笑いを生み出すのに重要なのは緊張と緩和です。真面目なシーンをこれでもかというくらい真面目にやってちゃんと緊張感を演出したほうが、ちょっとしたボケとかおバカな展開があった時に笑いやすくなります。

その笑いも「こうしなければならない」という必然性から成り立つおバカな展開だったりで作れば、緊張感を損なうことなく笑えるはずなんです。何故なら登場人物は仕方なくそうしてるだけであってふざけているわけではないからです。

例えば、どっかから盗んだ物を食べた人物が腹を壊して、その後ゾンビから逃げて隠れている時にオナラをしちゃって気づかれる、とか。いや、これも別に面白くないかもしれないけどさ……。でもこれだったらバカっぽい展開だからギャグにもなるし、オナラをしてはいけない状況で我慢するという誰でも経験があることだから共感も生まれやすい。そして、強いキャラというのは安心感があって緊張感を損なわせるという意味でこの手の話だと邪魔になりがちだが、お腹を壊すのを強いキャラにすることで戦えなくして緊張感を保つこともできる。さらにその後うんこしてから復活する時にカタルシスも作れる。

つまり、笑い自体が緊張感を削ぐわけではなくて、”ふざけているように見える笑い”が緊張感を削ぐんですね。で、テレビ的なボケツッコミは、端的に言ってしまえばふざけあっているように見えるだけなので、この手の映画とは相性が悪いんですよ。

だから本作はゾンビ映画としての恐怖などもテレビ的な笑いによって緊張感が損なわれ中途半端になっていて、さらに緊張感が損なわれることで笑いも生まれにくいので、全体的に中途半端なんですよ。

じゃあ品川監督お得意のアクションはどうなのか、ということですが、そのアクションもあまり良くはなかったですね。相変わらずスローを多用していて正直辟易しました。僕あれ逆効果だと思うんですけどね。

つまりどういうことかと言うと、スローでアクションを見せることによって緊張感が損なわれているってことです。1分なら1分。10秒なら10秒というようにリアルタイムで描写する方が臨場感があっていいと思う。実際の喧嘩のように一瞬で終わったりした方がリアリティがあって面白いはずなんですよ。

例えば序盤のヤクザ襲撃のシーンなんかもスローを使わずに、ヤクザの元に殺し屋がやって来て銃を何発かぶっ放して去っていくという一瞬の出来事のように撮った方が、確かに一瞬で終わるので物足りなさはあるかもしれませんが緊張感は持続するはずですよ。「何だったんだ今のは……」というように。だからアクションのスローもやめてほしいですね。

映画の構成にも文句があって、こっちはゾンビの件を見たいのに、ヤクザのごたごたと並行して話が進むので一々ブレーキをかけられるようで嫌でしたね。その辺も下手だなぁと思いましたね。

あと家出した娘がゾンビになってて一緒に殺してくれとか言う展開は安っぽくて全然入り込めなかったし、窪塚演じる警官が女子高生をかばって死ぬ時に女子高生が泣きじゃくるけど、出会ったばっかりなのに泣くかよって感じで不自然だった。

ただ良い点もあって、それはキャラクターですね。特に敵役の殺し屋三人組。特にキム兄と千鳥の大吾。この二人は完全にハマり役でしたね。極悪非道で恐怖心とかも欠如している感じで、戦闘もめっちゃ強い。僕は個人的に良心の欠片もないようなチンピラとかヤクザといったアウトローがめっちゃ好きなので、この殺し屋三人組がメインの話を観たいくらい。

ということで、映画全体としては笑えないし怖がれないし爽快感もないしで中途半端。構成は下手で映画に入り込みにくいので全然ダメダメですね。
良かった点は敵のキャラクターって感じっす。

品川監督は器用だけどなんか爪が甘いというか、考えが浅いところで止まってるという感じがしますよねぇ。もっともっと掘り下げて考えていけば器用なんだから面白い映画撮れそうなんだけどなぁ。

次回作の構想はあるみたいなので、次の作品に期待してます。

 

ヤンキーってよく言うけど、そろそろちゃんと定義しない?

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よくネットの書き込みで、ヤンキー叩きを見かける。何やら強烈な恨み辛みが滲み出た文面もよく見かける。ヤンキーは全員死ねだとか、更生しても過去の過ちは消えないんだよ、みたいなこと。

そのようにヤンキー(不良)ってよく使われる言葉だけど、実は明確な定義がなく、みんな漠然としたヤンキーのイメージだけで叩いているだけだということに気づいた。

ネットで検索しても『まともな生活をしていない若者』と書いてあったり、不良的なライフスタイル全般を指している用語として書かれていたりする。でもどれも明確な定義とは言い難い。

だからそろそろ『ヤンキー』を定義したほうがいい、というかすげぇ気になってしまったので勝手に定義しようと思った次第です。

ヤンキーは犯罪をしている者を指すのか?と考えるだろうけど、それだったら万引きをした主婦とか、車の事故で他人を轢き殺した人とかもヤンキーに含まれてしまう。だからヤンキー=犯罪ではない。

なら喧嘩をする人がヤンキーか?でも喧嘩くらいみんな子供の時にやってるし、むしろ喧嘩なんて生物の本能だし、そもそも喧嘩をしないヤンキーなんていっぱいいる。だからこれでヤンキーとは言えないだろう。

じゃあ見た目が悪そうな奴がヤンキー?と考えても、そもそも悪そうって感覚自体が人それぞれだし。

こうやって考えていけば、ヤンキーという概念は、表面的なことや、その行動を指す用語として定義するのは無理だ。ならもっと人間の中身に当てはめて考えていけばいいのではないか。

そこで僕が考えたのが、ヤンキーという概念は人間のマインドを指す言葉なのではないかということ。近いところでいうと『体育会系』みたいな。

つまりヤンキーは、反骨精神とか反抗的な態度を指す言葉だと解釈したら結構納得がいく。例えば親に反抗するのもそうだし、先生に反抗するのもそう。学校のルールに従わないのも権威や権力に逆らう気持ちだし、もっと広い目で見れば法律に従わないのも反抗。

それも、一部分だけで反抗するのではなく、常に何に対してもそういう態度の人間をヤンキー(不良)と呼んでいると解釈すればいいと思う。そして一部分だけで反抗したり、実際に態度として出さなくても、反抗したい気持ちがある人の場合は「ヤンキー的な人」という解釈。

ということでヤンキーは、
『反骨精神を持っていたり、常に反抗的な態度をとっている人間を指す用語』
と辞書に書いてください。

「キャラを演じる」とはどういうことなのか

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 タレントがテレビに出て何かをしていると、視聴者はよく「キャラだよ」とか「演技だよ」と言います。タレントだけに限らず、一般人もプライベートと仕事の時では何かを”演じる”ことはあると思います。では、その「キャラを演じる」とは一体どういうことなのでしょうか。本当にキャラを演じているのでしょうか。キャラとは一体なんなのかを考えていきたいと思います。

 

キャラクターとは

 キャラクターは、小説、漫画、映画、アニメ、コンピュータゲームなどのフィクションに登場する人物や動物など、あるいはそれら登場人物の性格や性質のことを指します。つまり、キャラクターという言葉は物語の登場人物という意味がありますが、この意味での「物語」を「小さな共同体(コミュニティ)」と読み替え、「コミュニティ内での個人の位置」という意味でキャラクターという言葉を使うような思考形式が生まれていったのだと考えられます。

 要は、人が本来の自分とは違う人物になりきるときに、「キャラクターを演じる」という表現を使います。意味としては「演技をする」というのに近いでしょう。

 

どういう時にキャラを演じるのか

 例えば仕事で関わる人の前で真面目なふりをしてみたり、恋人の前で相手に好かれる自分になりきってみたりします。タレントだったらプライベートの時の自分とメディアに出る時の自分では人格を切り替えていると思います。もっと言えば、自分一人でいる時以外は常に何かを演じているということになります。つまり、人はパブリック(公共)では常にキャラを演じているのです。

 

素の自分とはどんなものか

 人はパブリックでは常にキャラを演じていると書きました。では、「素の自分」「本当の自分」とは一体どこにあってどんなものなのでしょうか。普通に考えると、パブリックでキャラを演じるならプライベートでの自分が本当の自分だと発想するでしょう。でも本当にそうでしょうか? いくらキャラを演じていても、そのキャラ自体自分の中から出てきており、それを自分で演じているのであれば、それは自分であることには変わりません。本当の自分とは一体なんなのでしょうか……。

 

人間は隠している部分を本当の自分と思い込む

 一人の人間にもいろんな側面があります。裏と表です。心理学的に、人間は裏を本物と思う傾向があります。もう少しわかりやすく言うと、隠している部分を本物だと思います。だから自分自身でも、普段表に出していない部分が「本当の自分だ」と思い込むのです。

 そういう心理を利用した恋愛テクニックもあります。例えば、派手なメイクをした女は一般的には家庭的には見えません。そういう人に対して「いいお母さんになりそう」とか「こう見えて以外と優しそう」と言えば、相手は本当の自分をわかってくれたと思い込むのです。

 

キャラを演じるとは

 以上のことをまとめると、キャラを演じるとはなんなのか、本当の自分とはなんなのかがわかってきますよね。端的に言うと「人はキャラを演じているつもりになってるだけ」ということです。上にも少し書きましたが、人間にはいろんな側面があって、その全てが本当の自分なのです。

 たとえ演じていてもそれは自分が演じている時点で”自分”です。そもそもみんなが何故キャラを演じるのかというと、嫌われるのが怖いからです。嫌われるのが怖いと書くと語弊があるかもしれませんが、要は人に好かれたいのです。そしてそれは無意識で行われることです。無意識で行われるということは、本当の自分だということです。ただ単にプライベート用とパブリック用で分かれているだけで、どっちかが偽物というわけではありません。

 「自分の気持ちと違っていても、人が求めるキャラを演じてしまう」という意見もあると思います。しかし、よく考えてみるとそうとも言えないというのがわかります。「演じたくない」という気持ちと「演じたい」という気持ちがあって、「演じたい」という気持ちが勝ったから実際にキャラを演じてるわけであって、後から「演じたくなかった。それが本音だった」と言っても、それは通用しません。演じなければ嫌われる。それが怖いから演じてるのであれば、それもまた本音でしょう。

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「だからなんだよ」ってか?うるせーこのやろう。

福山雅治の主演映画!今度はセクシーなパパラッチ役!

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scoop-movie.jp 

 

大根仁監督、福山雅治主演で撮影された映画『SCOOP!』が、10月1日に公開!

日本一セクシーで、日本一撮られない男福山雅治が、今度はパパラッチ役を演じる。
監督は『モテキ』『バクマン』の大根仁で、出演者は二階堂ふみ、吉田羊、滝藤賢一リリー・フランキーと豪華キャスト。

公開された話題のポスターは、やたら情報量の多い週刊誌のようなデザインで、”楽しそうな映画感”がガンガン伝わってくる。ゲスいもの好きな客が見たくなるような秀逸なポスターデザインだ。

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出典:https://www.toho.co.jp/movie/lineup/scoop-movie.html


芸能スキャンダルから社会事件まで様々なネタを追いかけ回すカメラマンと記者の物語で、原作は1985年製作の『盗写1/250秒』という映画だ。

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『SCOOP!』のストーリー

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出典:http://www.cinra.net/news/20160512-scoop


今まで数々のスクープをものにしてきた凄腕のカメラマン都城静(福山雅治)は、過去のある事件をきっかけに報道写真への情熱を失ってしまう。その後静は芸能スキャンダル専門のパパラッチに転身。そこから何年もの間自堕落な日々を過ごしていたが、ひょんなことから写真週刊誌「SCOOP!」の新人記者、行川野火(二階堂ふみ)とタッグを組まされる羽目になる。ケンカばかりの静と野火だが、この二人が独占スクープを連発。そしてついに、日本全土を揺るがす大事件が発生する…。

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出典:http://www.cinemacafe.net/article/2016/07/29/42302.html


今回福山雅治は役作りのために髪を伸ばしてヒゲを生やし、いつもとは違う、アンニュイな雰囲気を漂わせるセクシーな男になっている。本人も、ずっと演じてみたかった役柄だと言っており、どんな姿を見せてくれるのか非常に楽しみだ。

 

主題歌には福山雅治がギターのみで参加

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出典:http://natalie.mu/music/news/196132

今回映画の主題歌では、”TOKYO No.1 SOUL SET feat.福山雅治 on guitar”というコラボレーションが実現。TOKYO No.1 SOUL SETが歌う主題歌「無情の海に」でギター演奏を担当した。福山は「ギターのみでの参加、うれしすぎます!」と喜びをあらわにしているようだ。

レコーディングは、電話で何度もやり取りを重ねながら、SOUL SETが制作をした音源に福山がギターを重ねる形で行われた。80年代ディスコ風がテーマで、ディスコに行ったことのない福山にしてみれば難解だったようだ。しかし、SOUL SETの川辺は、素晴らしい一曲ができたと自負している。

この主題歌は、9月28日発売の「『SCOOP!』 オリジナル・サウンドトラック」(24曲予定)に収録されている。

 

この映画は期待できるぞ!

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出典:http://www.cinemacafe.net/article/img/2016/07/29/42302/234222.html

監督の大根仁は前回『バクマン』を撮った。あれは漫画原作の話であり、正直あまり期待はしておらず、公開されてからネットで評価を見ても、やはり「あんなのはバクマンじゃない」といって叩かれていた。だがその後僕はバクマンを観て驚いた。期待とは裏腹に面白かったのだ。漫画原作を何も考えずそのまま再現しようとはせず、あくまで映画的に表現していたし、長く地味になりがちな題材の作品を工夫と熱意によって優れたエンタメ作品に仕上げていたと思う。監督自身、漫画が好きなんだというのも伝わってきたし、すごく手間のかかることをキチッとやっている誠実な人だと思った。なので僕の中で大根監督は”ある程度期待してもいい”監督ということになっている。

そして福山雅治だが、僕は個人的に福山雅治の演技は好きではなかった。イケメンすぎるのが原因なのか、映画に出てくるといつも浮いており、チャラくて浅い感じがして、所詮テレビの人なんだと思っていた。しかし2013年製作の『そして父になる』あたりから演技に深みが出たような気がする。それは歳を重ねたおかげなのか、演技の勉強をしたのかわからないが。

僕が演技について語るのはおこがましいが、とても映画的な雰囲気を醸し出すようになったと感じる。福山雅治が元々持っていた存在感と映画的な深みが合わさって、物凄い磁力を発する良い役者になったように思う。その福山雅治が今回大根仁監督とタッグを組んだ映画となると、期待せずにはいられない。


『SCOOP!』予告


予告編を見る限りそれなりに面白そうではある。だが尻すぼみになりそうな気もする。でも期待している。公開日に観に行こうかな……。  

 

 

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『シン・ゴジラ』観てきたけど……

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www.shin-godzilla.jp


  ずっと観たいと思っていたんですが、忙しくてなかなか時間がとれず観れなかった『シン・ゴジラ』ですが、先日、友人と観に行ってきましたよ。

 感想は一言で、「面白い」ですね。

 ほとんど情報を入れずに観ました。レビューや評論とかも全く読んでなくて、評判が良いということくらいしか知りませんでした。

 正直僕はゴジラに対して思い入れはないのです。そりゃ当然。世代的に怪獣映画を見る世代じゃないですからね。ましてや特撮なんて全くです。物心ついたときからCGですよ。CGバンザーイ!

 で、今回のゴジラは特撮っぽいCGということで、安っぽいんじゃないかなぁ、と危惧してたんですが、全然そんなことなかったです。作り物っぽいゴジラが東京の街に立っていると、異形感があって逆に良かったと思うくらいでした。

 ゴジラが完全体になる前の、第二形態は、とにかく気持ち悪すぎて最高でしたね。ブルブル、ブシャー!みたいなあの感じね。

 僕はゴジラを人間の味方のように描いてほしくなかったんですよね。怪獣って本来恐怖の対象じゃないですか。だからゴジラも絶対的な恐怖の対象として描いてほしかった。だから初代はおいといて、他のゴジラ映画はイマイチ納得していなかった。ゴジラがアイコン化して、ただのいちキャラクターになっているのが嫌でしたね(ゴジラに思い入れないくせに)。

 だが今回のゴジラはとにかく怖い。徹底的に恐怖の対象として描かれていました。中盤ゴジラがキレて火を噴く場面の絶望感は、まさに僕が求めていた光景でした。観てて悲しくなってくるほどの圧倒的絶望感。あれはやっぱりエヴァイズムなんでしょうかね。

 途中明らかにエヴァの曲とか使ったりして、セルフパロディ的なこともやってましたけど、そこでも上がりました。あの曲マジで好きだわ。

 演出面でもここ最近の邦画の中では、というか洋画も合わせても優れている方だと思います。石原さとみの役の過去とかを、説明せずに想像させるような演出が、まさに映画的で心地よかった。今までの邦画だと全部セリフで説明してしまっていたところですからね。

 内容も子供ではわからないような政治的なやりとりばかりでしたが、本来ゴジラのような舞台が「日本」や「世界」となる場合には、政治の問題が必要不可欠で、そうなると大人向けの内容にならざるを得ないわけで、その意味で今回のゴジラは子供を無視した作りでさすがだなと思いました。

 キャラクターに対する感情移入描写がないのも良かったところです。深く掘り下げない。今行われていることに集中して映画内でそれを語る。そういうシンプルさがスッと入っていけた理由かもしれません。

 こういうのって意外と大事なんですよね。観客はストーリーが見たいわけで、キャラクターの過去なんかほとんど興味がない。シン・ゴジラの場合も、ゴジラをどうするのかを見たいだけで、キャラクターの家族がどうとかそういうのは邪魔なだけ。だからシン・ゴジラでは「スマホの壁紙を家族の写真にしているのを写す」という方法で、そのキャラが家族を大事にしているということを想像させるのです。

 地震原発事故のメタファーだと思わせるような示唆に富んだ描写の数々によって、いろいろな見方ができるところもヒットした理由だと思います。

 まあとにかく、僕が一番気に入ったところはやはりゴジラそのものですよ。あの生物なのかなんなのかわからない、深海魚のような異様なルックスが最高ですよ。気持ち悪いけど格好いいって感じかな。光線を吐くところの口の開き具合とかヤバイからね。

 ということで、映画館からの帰りのエスカレーターで足の綺麗な女がいてずっと見て家帰ってから◯◯ったわ。

 

 石原さとみ、思ったより悪くなかったじゃん。

これからはエンタメ業界が盛り上がる!

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出典元 http://www.aeoncinema.com/cinema/kanazawaforus/

 ネットニュースを見てたらこんな記事がありました。

 

news.nicovideo.jp


 週に何度も映画館へ行く人の割合は増えたが、一般の客は増えていないという記事です。結論は、行く人と行かない人の二極化が進んでいるのかもしれない……という内容です。

 確かに映画館へ行く人と行かない人の二極化は進んでると思います。その理由は、娯楽が増えたからです。今はいろんな娯楽がありますよね。正直、1日中家にいても一向に飽きがこない。そんな時代ですから、映画に対して興味のない人はもう全く行かないと思いますよ。

 でも別の言い方をすれば、娯楽産業全体が伸びているということでもあります。映画を見ない人が何をしているのか……まさか仕事というわけではないでしょう。他の娯楽をしてるんですよね。漫画ばっかり読んでる人もいれば、ゲームばっかりしてる人もいる。外に行ってイベントに参加したり、レジャースポーツなどに勤しむ人もいます。僕はこれからその傾向がもっと強くなると予想してます。予想というよりもう確実ですけど。

 技術が進化しまくったことによって、これからはどんどん人々の仕事がなくなります。つまりそれだけ暇が多くなるということです。暇が多くなるということはみんな遊びたいわけです。遊びたいから娯楽が伸びるんです。これは当然といえば当然の流れです。

 昔の人間は生活の為に働いていました。つまり狩りとか農業のようなものです。でも技術の進歩によって、生活の為、食の為に働くというよりも、お金の為、より贅沢をする為に働くようになりました。というより、贅沢をする為に無やりサービスを作り出してきた感じです。そして今度はその無理やり作り出したサービスも他の技術によって必要なくなったり、ロボットが代わりできるようになります。これって見方によっては、人間が嫌な仕事からだんだん解放されていると見ることもできます。

 じゃあ何が残るのか考えた場合、人間が嫌じゃない、やること自体が楽しいモノ、絵を描いたり物語を作ったり音楽を作ったりといった、創造的な分野というのが残るわけです。絵を描く人は絵を描くのが楽しいから描いてるので、人間より上手く描けるロボットが現れても趣味で描き続けるでしょう。そして人々は「これって人間が描いたの!?」と言って評価をするでしょう。

 他にも、人々が暇を潰せるような、遊びを提供する仕事が伸びるわけです。スポーツなんかもその一つです。例えば陸上の短距離だって、走ると車の方が速いのになくなりません。それは人間が走ることに意味があるものだし、何より本人が走ることが好きだからです。だからそういったスポーツやクリエイティブなジャンルは技術に左右されないのです(ゼロではないが)。

 だからこれからの子供は学校に行って暗記なんてしてないで、もっとクリエイティブな部分を鍛えるべきです。と思うんですけど、どうなんでしょうね。

 つまり結論としては、一つあたりの娯楽物に対する客は分散して減るが、その代わり世の中に娯楽は溢れますよ〜というお話でした。

 

魔法の世紀

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データサイエンティストが創る未来 これからの医療・農業・産業・経営・マーケティング

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これからどうする――未来のつくり方

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 書きながら論理を捻り出して、口から出まかせ的に書いてみたが、なんだかそれっぽいじゃん