愚かなる独白

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愚かなる独白

ろくでなしの雑記

松本人志は本当に劣化したのか

松本坊主

ネット上でよく囁かれる松本人志劣化論。

確かに、昔に比べて松本人志は面白くなくなったかのように感じる瞬間はある。

だが番組を観ていると、彼のボケの量は未だに凄いものがあるし、どんな状況だって笑いに変えようとしていて、気の利いたことも一つの番組で何回か言う。他の若手と比べても、やはり力はあるのだろうと感じる。でもそれらは松本人志の”センス”というより、今まで培ってきた笑いのセオリーとか、ベテラン故の技術のようにも感じる。悪い言い方をすれば小手先で笑いを取っているような……。

 

昔は我々の想像の遥か上を行く松本人志のずば抜けたセンスの飛ばし方、その飛距離にみんな驚かされたし、笑ってきた。その頃と比べると、ボケの量は変わらないが、飛距離がなくなったように思う。

恐らく世間もその部分で松本人志が劣化したと言っているのだろうし、何より松本本人が若い頃に比べて衰えたと言っている。

 

彼の言う「衰えた」とは一体何が衰えたのか。

それは瞬発力である。

歳をとると言葉が出にくくなったりする。その意味で瞬発力が落ちる。そして笑いにおいて”間”というのは非常に大事で、その間が変わったりするだけで笑えなくなるので、言葉が出ないことによる間のズレが生じることもあるのだと思う。

 

だが僕はそれ以上に「松本は劣化した」と、みんなが言う原因があると思う。

それを説明するには「緊張の緩和理論」を知っていないとわからないことなので、この記事を読んでほしい。

utakahiro.hatenablog.com

この「緊張の緩和理論」に当てはめて考えると単純だ。

松本人志はみんなから面白いと思われている。つまり期待が高い。期待が高いということは彼が何か発言したり、『IPPONグランプリ』で回答したりするときには、周りに緊張が走る。本来であればその緊張が笑いを生むのに役立つのだが、大喜利なんかにおいては松本でなくとも、回答する前には緊張が発生する。なのにその上にさらに「松本が回答するぞ。さあ、どんな答えだ」とみんなが無意識のうちにでも身構えてしまうから、緊張が勝ちすぎて笑いに繋がらない。これはどんな回答を出したところで、無駄である。絶対にその原理には勝てないのだ。もし松本でも笑いがとれる大喜利があるとしたら、飲みの席などでみんなで遊びながらやる大喜利だろう。

そしてこれはただのトークでも発生していることだ。ビートたけしなんかもそうだが、彼らが喋ろうとすると周りは絶対に黙る。立場上偉いから身構えてしまう。

特に松本なんかは、昔笑いをとりまくっていた記憶がみんなの中にあるから、ボケた後も、彼のボケを無意識化で分析しようとするというか、ボケについて考えてしまう人が多いと思う。わりと面白ければ「さすが」となり、そこまで面白くなければ「劣化した」となる。

 

まあ要するに、先入観が邪魔して純粋に笑えなくなってしまっているのだろう。

これは仕方のないことで、誰が悪いというわけではない。松本が王者になってしまったが故に起きるべくして起きた現象だ。そしてこの事を当然松本人志はわかっている。もう何年も前にラジオで「大喜利とかやりたいけど、俺が出ても変な空気なるし、周りにも迷惑やろ…だから無理やねんなぁ……」と言っていた。

これを聞いて馬鹿な人は松本は逃げていると言っていたが、逃げているとか逃げていないとかそんな問題ではないのだ。頂点に立った松本ができることは、ベテランという立場を活かして、場を和ませたり、笑える空気を作ったりするくらいなんだろう。

 

有吉があだ名をつけなくなったのも、単純にしんどいからという事もあるのだろうが、「緊張の緩和理論」で考えると、期待が高まりすぎてハードルを越えることがいずれできなくなるというのを肌感覚で感じていたからだろうと思う。

 

ビートたけしが言っていたように、やはり芸人が権威になってしまっては笑いはとれない。だが今の日本のテレビは芸人が中心というか、お笑い至上主義的なところがあって、実力があると当然尊敬されるし、年齢を重ねると誰も逆らえなくなる。そうなると芸人は終わり。

つまり、芸人とは常に消費されていくものなんだと思う。

 

遺書

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松本人志 仕事の流儀(ヨシモトブックス)

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ということはやっぱり松本人志ってすごいよね。『すべらない話』や『IPPONグランプリ』で自分も話をするし、一応は回答を出すって、普通できることじゃないと思う。