日本のドラマは何故つまらないのか考えてみた
「日本のドラマがつまらない」これは、もう何年も前から言われている。2012年の朝日新聞に掲載された記事によると、国民の75%が「日本のテレビ番組はつまらない」と答えているらしい。この記事では「ドラマ」ではなくて「テレビ番組」であるが、ドラマも一応テレビ番組なのでこれに含まれるだろう。
そこで今回は日本のテレビドラマが何故つまらないのかを考えてみた。まあ巷で散々語られているが、今日は自分なりに考えてみた。
金がないから
ネットでドラマがつまらない理由を検索してみると、よく上がるのが「制作費がないから」という理由だ。
だが僕は個人的に、これは違うと思う。
例えばB級と言われる低予算で作られた映画の中にも面白い作品は沢山ある。それに、80年代の金があったバブル時期に、日本で面白いドラマや映画が作れていたかというとそんなことはない。中には昔のドラマは面白かったという人もいるが、それは勘違いで、今観ても大して変わらない。寧ろ役者の演技力なんかは今の方が上がったいると思う。
ということは、やはり金の有無は重要ではあるが、必要ではないということ。
規制があるから
では考えられる理由としてもう一つよく言われる「規制がひどいから」というもの。
日本のドラマでは、少しのことで苦情が入るらしい。例えば、サスペンスで犯人が車に乗って逃走するシーンで、シートベルトをしていなかったら苦情がはいるなど。
確かに、日本のテレビは広告に頼ったビジネスモデルなので、視聴者から苦情が入ると強く出れない。緊迫感のあるシーンで犯人がシートベルトをしていると真面目に観ている視聴者も興ざめだ。
だが、ドラマを観ていても、つまらない原因の全てが規制のせいだとは思わない。もっと根本的な、脚本だとか、演出だとかのほうが大事であり、細かな描写が全てをつまらなくするわけではないだろう。ほとんどの人はドラマなんて片手間に見ていることが多いし、犯人がシートベルトをしていたからといって気づかないことも多いのではないか。
なので「規制があるからつまらない」と一部のクレーマーのせいにするのは違うだろう。
役者が顔で選ばれる
これもネットに出てきた意見だ。
例えば新人のアイドルや、イケメン俳優や女優を売り出すために、起用している例が沢山あるからだろう。
本来役者というのは演技力や、その役柄にあった顔、雰囲気で起用されるのに、事務所が売りたいという理由でゴリ押ししてドラマに出演させる現状になってしまっている。その結果、演技力がともなっていなかったり、画面を通して美男美女ばかりで不自然になってしまっている。これがドラマをつまらなくしている原因ではないかという意見だ。
確かにこれは一理ある。だが、世界にはそれでも面白いドラマや映画があるのは事実だ。これは映画だが、『桐島、部活やめるってよ』は、学校が舞台で、出演者は確かに美男美女だ。イケてない高校生役を演じるのが神木隆之介なので説得力はないのではないかと思うが、本人の演技力もあり、さらにリアリティのある、堅実な演出を積み重ねているおかげで、ちゃんとイケてない高校生に見えるし、映画自体も素晴らしい傑作となっている。
なので「役者が顔で選ばれる」からという理由は、一部の要素ではあるが、それが全てではない。
演出力がない
上にも通づるが、役者の演技力がないのではないかという話もよくする。僕の友達も映画が好きなのだが、邦画より洋画の方が好きだと言っていた。その理由の一つに、役者の演技力の問題を挙げていた。
だがこれは実は勘違いで、日本の役者だって十分に演技力はある。ただそれを活かす演出ができていないだけだ。特にドラマに至っては、役者にわざとコミカルな演技をさせる。どうも作り手は視聴者をバカにしていて、わかりやすいリアクションをとらないと視聴者はわからないと思っているふしがある。
一言で言えば、漫画っぽいのだ。
実写の作品というのは実在の人間を写しているので、リアリティが非常に重要になってくる。実際の人間がとる行動や、台詞を話さないと不自然になる。なのにそれが出来ていない。というより、やろうとしていない。
例えばその一つとして挙げられるのが、なんでも台詞で説明するということ。
部屋で忙しく作業をしている人物に「あぁ、忙しい…」と言わせるようなバカ丸出しの演出。こういう場合は忙しそうに作業をしていれば視聴者はわかる。
他にも、ある人物がある人物を見つけ、物陰からこっそり見ているシーンがあるとする。その時、「やっと見つけたぞ…」などと呟かせる始末。ただじっと見ているだけで伝わるのに、わざわざそんな台詞を入れるのだ。これが大問題。
脚本がダメダメ
結局考えられるのが脚本がダメだということ。
対してアメリカのドラマなんかは脚本のクオリティが非常に高い。なんでもいいから一度観てみるだけでもそのクオリティの違いに驚くだろう。
何故そうなるのかというと、アメリカドラマの脚本制作は複数人で取り掛かり、ギリギリまで練りに練って作っているからだ。日本のドラマの台本はもう完全に完成した状態で出演者に渡されるので、一つの小冊子のようになっているが、アメリカの場合は常に考えて変更されたりするので、台本の色はページによってバラバラだったりするらしい。このことからも、脚本に対する力の入れようの違いがわかる。
そして何よりも問題なのが、何か「良さげ」なことを言おうとすることだ。
ドラマも邦画もそうだが、ただのエンターテイメント作品に何か無理やりメッセージを込めようとしたり、視聴者の心地よくする為というより、とりあえず教育上問題ないような「良さげ」なことを言おうとするあまり、それが邪魔になっていたり、むしろ倫理上どうかと思うような結論に着地したりすることも多い。
この問題は、論理的思考力が足りないということだろうか。論理的思考力が足りないから、脚本を練ることができず、「良さげな事」を本気で「良い事」と思ってしまうのかもしれない。そして一部の視聴者はそれが不快に感じることだろう。
視聴率至上主義
上では脚本が悪いからダメだと書いた。確かにドラマの良し悪しは8割くらいが脚本で決まると言っても過言ではないだろう。しかし、視聴率が取れることと、脚本は関係がないという現実がある。
ここ最近のドラマは、視聴率上位がジャニーズ主演のドラマで固まっている。
要は視聴者のほとんどが、ドラマの内容より、出演者の好き嫌いを優先させるから、結果として脚本のプライオリティが低くなり、つまらないドラマばかりになるのだと考えられる(もしくは逆もありえる。つまらないドラマばかりだから、視聴者はせめて好きな人が出演しているドラマだけ観ている。だがどのみち、いいドラマを作るには苦情を寄せられることへの対策が必要になってくる)。
どちらにせよ、視聴率至上主義のテレビ局のビジネスモデルが原因だ。
これはIT革命が起きてから、徐々にネットが普及してきた段階で、ビジネスモデルを変えるべきだった。広告に頼りっきりのビジネスモデル自体がいいものを作るのに向いていないのだ。
視聴率を取りにいくというのは、目先の利益を追うということ、だが目先の利益を追うと、その時は良いが、後々になってしぼんでいく。この体制を変えるには、なんとか資金を獲得し、初めは苦情が来ても我慢して作り続けて、最終的に認められればいい。そうやって何度かいいドラマを作れば、世間からも認められて、広告を出したいと思う企業も出てくるだろう。そしてそのうち苦情も入らなくなるのではないか。
だがテレビ局は免許で守られているので、一般の企業と違いわざわざそんなことをせずともやっていける。だからいつまでたっても変わらない。現に未だにビジネスモデルを変える気もないし、新しいことを始める気概もない。つまり最終的な問題は、経営者が無能だからという結論に至らざるを得ない。
まとめ
これらの考えをまとめると
・奇を衒わず、堅実な脚本を書ける脚本家を育てる
・実写として真っ当な演出を行える監督が必要
・ビジネスモデルを変える。もしくは経営者を変える。
この三つができると日本のテレビドラマにも光が見えてくるのではないかと思う。
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まあでも正直期待してないけどね。もうテレビは終わりっしょ。
これからはhuluとかの映像配信サイトのドラマに期待しよう。現にhulu制作の『フジコ』とかヤバイらしいし。