愚かなる独白

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ろくでなしの雑記

物語に道徳は必要か?

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 物語をつくっていて、タブーはあるのではないかと思うことがある。不道徳な題材、テーマ、メッセージの入った物語は創作すべきではないのでは、と気にしてしまう。 

 いくらフィクションだといっても、賛否の分かれる話を無遠慮に語ることによって世間から反感を買うのではないかという懸念がある。もちろん日常生活を送っている時はそういう事にも気を使うべきだ。だが僕は、創作者は恐れてはいけないと思っている。

 道徳的なことに気を使いすぎて、作品が面白くなくなるという方がよっぽど問題だ。それは最近のテレビ番組を観ていても感じることだろう。

 

 そもそも物語の持っている価値や目的とは何なのだろうか。

 

楽しむ目的

 まず第一として、物語は楽しむ為のものだ。

 エンタテイメントに限らず、例えば小説だったら、純文学のように芸術的な側面もあるが、それも「楽しむ」という事に含まれる。

 はっきり言ってしまえば、楽しめないのであればその作品は無価値だ。ただ何をもって「価値がある」とするのかという話だが、それは求める人の数である。芸能人で例えるが、世界一美人でも、誰一人求めていなければその人に価値はない。逆に不細工でも、求める人が多ければ価値はある。ということは、客観的に見れば、楽しめる人が多ければ多いほど価値があるということだ。

 

学ぶ目的

 人はただ論理で教えられるより、感情的な部分に直接語りかけられる方が印象に残るし、腑に落ちやすい。だから、社会的に大事な事や伝えなければならない事は、物語の中で語った方が良かったりする。「説明」するのではなく「感動」させるのだ。

 例えば僕は子供の頃から漫画や映画に触れてきたが、そこから学んだことは非常に大きい。人間にとって普遍的なテーマである、友情の大切さなどは少年漫画で嫌というほど学んできたつもりだ。そしてそれが心の中に染み付いて当たり前のようになっている。物語にはそういう意味での価値もあるのだ。

 

伝える目的

 上に挙げた二つの目的は、提供される側の目線だが、これは創作者側からの目線だ。そして上の「学ぶ目的」に通づる。

 何か伝えたいことがある時、物語として伝えることができる。そして納得させる事ができる。

 人間は十人十色と言うが、結局は一定のパターンがあって、「この年代でこういう顔でこういう育ちなら、大体こういう性格だよね」というように分類でき、似たような性格や考え方の人たちで溢れている。だから特殊な作家が伝えたいメッセージを物語に込めた場合、確かに共感されないことも多いだろうが、誰かの心にはヒットするはずだ。そしてそれがカルト的に人気を築くことだってある。

 つまりその少数の人たちにとっては楽しいし、違う考え方の人たちも学べることがあるかもしれない。そういうことを全ての創作者は目的としていると言い切っても過言ではないだろう。

 

 

 

道徳とはなにか

 道徳とは、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守らなければならない規範のことをいう。強制的な法律とは異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理だ。

 要は、社会的に良しとされることをすると「道徳的」で、社会的に良くないことをしたら「不道徳」だ。

 

道徳なんて幻想

 はじめに道徳は必要ではないと書いた。何故なら、僕は面白ければいいと思っているからだ。

 よく考えてみると、道徳が何故道徳になっているかというと、正しいと思う人が多いからだ。つまり多数決。でもそれは結局個人個人の感情的な問題であって、科学でもない限り、何が正しくて何が間違っているかなどわかりようがない。結論なんてでないだろう。ほとんど幻想と言ってもいい。それか本能に基づく考え方だ。例えば人間は生存 本能があるから「死にたくないから殺人は駄目な事」としているように。

 でもそれも結局人間の勝手な希望でしかない。つまり「やってはいけない」のではなく「やってほしくない」のだ。

 だから別の視点から考える必要がある。

 

不道徳がいけない理由

 不道徳がいけない理由を感情的に語っても結局「不快になるからやめてほしい」とかそういう理由になるだけだ。そんなもの「知るか」と言えばそれで終わり。だからもっとビジネスライクに考えてみる。

 上に、道徳は多数決だと書いた。ということは、不道徳な小説を読めば、大多数の人が不快になるということ。そうなるとその小説は売れない。だからやめたほうがいいのではないかという簡単な理由だ。

 それに批判も大量に来て、かのベッキーのように人格攻撃もされるだろう。それに耐えられる人はほとんどいないのではないだろうか。

 

物語における不道徳とは

 勘違いして欲しくないが、物語上における不道徳というのは描写の話ではない。暴力的な描写があるから不道徳なのではない。伝えるメッセージが間違っていると不道徳なのだ。

 一見普通のほのぼのとして物語でも、非常に傲慢で、不愉快な作者の人格が見え隠れする作品もある。僕のいう不道徳というのはそういうことだ。

 

 

 

まとめ

 不道徳な話を作れば批判されるからよくない。批判されても大丈夫なのであれば勝手にすればいいが、敵を増やしすぎると活動がしにくくなるし、金も稼げない。

 

 ただ昔なら世間から受け入れられないと作品など出せなかったが、IT革命が起きてからここまでインターネットが普及して、個人的に活動することが楽になった。そう考えると、多くの人に共感できるものではなく、もっと細分化されてニッチな趣味をいく作品がこれからもっと増えるかもしれない。

 

 例えばスナッフフィルムや、変わった性癖の人のための映像などがある。それは一般的には価値はないが、その手のものが好きな人にとっては価値がある。だからなくなることはないし、それが一概に悪いものだとは言えないだろう。

 

 ただ自分はのびのびと創作活動をしていきたいという人は、「道徳が必要」とまでは言わないが、頭の片隅には止めておくべきだろうと思う。

 

  

小説作法

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書くことについて (小学館文庫)

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そういえばベッキー大丈夫かなぁ……