愚かなる独白

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ろくでなしの雑記

物語での「感情移入」や「共感」について

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 物語の世界で感情移入や共感という言葉はよく使われる。だが具体的に感情移入とはどういうことなのか理解していない場合が多い。
辞書にはこう書いてある。

自分の感情や精神を他の人や自然、芸術作品などに投射することで、それらと自分との融合を感じる意識作用。

 
 では共感はどうなのか。

他人の考え・行動に,全くそのとおりだと感ずること。同感。 「 -を覚える」 「彼の人生観に-する」
他人の体験する感情を自分のもののように感じとること。

 
 感情移入と共感は、混同されて使用されているが、実は似て非なるものなのだ。

 まず感情移入だが、これは簡単に言うと「自分の感情を、勝手に相手に移し入れて、対象があたかもその感情をもっているかのように感じ取ること」をいう。つまり、これは人間に対してだけのものではなくて、自然界や無生物などの「物」にもできるということだ。

 例えば、楽譜の上に並んだ音符のそれぞれは感情をもっていないが、それが楽器によって奏でられると、聴く人のもっている感情によってさまざまな意味をもってくる。
他にも小鳥のさえずりが喜びに満ちたものとして聞こえたり、鈴の音が寂しく聞こえたりすることがある。だがこれらは、自分が一方的に決めつけているにすぎない。鈴の音が寂しく聞こえても、実際に鈴が寂しがっているわけではなく、自分が寂しくなっているだけだ。これが感情移入なのだ。

 これに対して共感というのは、「他人が喜ぶのを見ると喜び、他人が悲しむのを見ると悲しむというように、他人と同じ感情を持つこと」をいう。だから共感というのは、人と人との間の感情の伝達であって、人間以外の動植物や無生物などとの関係は含まれない。

 この場合、他人がある感情を持っているというのが前提条件だ。つまり、相手が本当は悲しんでいないのに、よく観察もせずに、多分あの人は悲しんでいるだろうと自分勝手に推測して悲しんでみせるというのは共感とはいえない。また、悲しみの情動を体験しているのを確かに理解はできても、自分は悲しくなれないのであれば、それも共感ではない。相手の感情を理解し、同じ気持ちになれたらそれを共感と呼ぶ。


 ではこれらと物語の関係だが、よくこんな意見を耳にする。

「キャラクターに全然感情移入できなかった」

 この「感情移入できない」という言葉を、世間の一部の人は「自分の考え方とは違う」という意味で使っているが、それはおかしいのではないだろうか。

 うまく感情移入する場合は、主人公を自分に置き換えて楽しむことができる。
 例えば殺人鬼が主人公の場合、自分は殺人鬼ではないから共感することはできない。だが「もし自分が殺人鬼だったら」という前提に立つと、社会的には悪人である主人公だが自分に置き換えているので、逮捕されそうになるとドキドキする。これが物語の面白いところだ。

 だが上記したように、感情移入とは自分が勝手に投射するものであって、それは能動的な作業を要する。つまり感情移入しようと思わないと感情移入はできないのだ。だから「感情移入できないキャラクター」というのは言葉の定義上おかしい。感情移入するかしないかは読者が決めることだ。もし感情移入できないことがあるとするなら、矛盾だらけで世界観が完全に崩壊しているとか、キャラクターに一貫性がないからその人物がよくわからない、という場合だけだろう。理解できなければ、好きになることも嫌いになることもできないからだ。だがもし、そのキャラが嫌いだから「感情移入できない」と言っているのだとすればそれは間違っている。他人を憎むことも感情移入なのだ。

 他にも、共感できるキャラクター、できないキャラクターという話があるが、これも少し間違った認識があるように思う。
 世間の一部の人は、何故か自分と全く同じ行動をとらないキャラクターには共感できないと思っている。だが実際はそうではないはずだ。共感というのはもっと細分化されたもので、例えば「このキャラクターのここには共感出来るが、ここには共感できない」というようになるはずだ。友達の異性の好みには共感できなくても、悩みには共感できたりする。物語でもそれが大事で、主人公の性格と自分の性格は違うけど、恋人にふられて落ち込んでいたら、恋人にふられたことがある人ならその気持ちが理解できるだろう。

 人間の感情は喜怒哀楽などのように分類されており(驚き・恐怖・嫌悪・怒り・幸福・悲しみの6つあると言われている)、そしてそれぞれの感情の中にも強弱がある。悲しみの中の「めっちゃ悲しい」とか「ちょっと悲しい」のように。そして、人間は同じ枠にある感情ならある程度想像できる。

 例えば、交通事故で両親を失った人が持つ強い悲しみの感情は、両親を失ったことがない人にはわからないはずだが、ちょっと悲しいと感じたことがある人ならば、強い悲しみも想像できるのだ。
 他にも、両親を失った強い悲しみと、親友に裏切られた強い悲しみは、起きた出来事は違うが、「悲しみの度合い」は同じくらいかもしれない(多分違うけど)。
 だから共感で重要なのは「体験した出来事」ではなく、「感じたことのある感情の種類と度合い」なのだ。

 みんなが間違っているのは、「殺人鬼が主人公だと、自分は殺人に快楽を覚えないから共感できない」というが、快楽という感覚自体はわかるのだから共感出来るはずだ。共感=肯定しているというわけではない。共感するということは、理解し同じ感覚になれるということだ。
 その意味でいうと、殺人に快楽を覚えなくても、美味しいご飯を食べて幸せだと思う感覚がわかれば、それと同じ感じだと言われれば理解はできる。あとは作者の技量の問題で、まるで殺人が楽しいことであるかのように描いていけば、読者が自分の楽しいと思った時の感情を思い出し、それと結びついて共感してしまう(どうしても共感したくなくて読者が共感しない努力をしたらそれも無理だが、それは作り手の責任ではなく読者の努力の結果であり作者にはどうしようもない)。

 ということは、作者は、読者の感じたことがあるであろう感情の方に注目して作っていけば、読者の共感を呼び起こすことが簡単にできる。
 殺人鬼の主人公が初めて殺人に手を染めるシーンを書こうと思ったら、読者のほとんどは殺人経験がないのでその時の雰囲気が掴みにくい。だから、主人公が殺人に向かう感覚を「初めての場所に行く時のような緊張と期待感があった」とか書いておけば読者は理解出来る。
 そのように、キャラクターに突飛な行動をさせる場合でも、誰しも経験があるであろう感情を重ねることで、読者は明確にイメージできるようになり、いずれはキャラクターに共感せざるを得なくなり、気づけばどっぷりと作品世界にのめり込んでいるはずだ。サイコパスでもないかぎり……。


まとめると
・感情移入とは、自分の感情を相手に移し入れて見ること
・共感とは、相手の感情を理解して自分も同じ感情になること

・感情移入は勝手にすることだから意図的に感情移入させるのは無理
・作り手ができるのは、感情移入させることではなく共感させること
・共感に重要なのは感情の種類と度合い
・共感させるには、キャラが何を感じているのか明確にイメージさせること

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 理解できなければ共感も感情移入もできないが、それを利用した理解不能なキャラも見せ方によっては魅力的になると思うのです。