愚かなる独白

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愚かなる独白

ろくでなしの雑記

漫画におけるボケツッコミについて

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昔の漫画はそうでもないと思うのだが、最近の漫画は特にボケツッコミが多用されている印象がある。

ギャグシーンといえば、一方のキャラが変なことを言って(ボケ)常識人のキャラが訂正したりキレたりする(ツッコミ)。まるでテレビの真似事のように当たり前のように行われている。僕はそんなギャグを見ていつも冷める。

もちろん笑ってしまう時もあるが、それはボケ自体が単体で面白いだけであって、物語的に面白いわけでもその漫画自体が面白いわけでもない。映画で例えると、あるシーンに芸人が出てきて、その人がテレビで見せるような変なことをして笑わせるようなものだ。それは映画の実力ではなくその芸人が面白いだけだ。

そもそもボケツッコミというのは漫才のメソッドだ。
松本人志の『いきなりダイアモンド』というコントでこんなセリフがある。
「ツッコミというのはいわば説明や」
そう、ツッコミは客に対する説明なのだ。説明ということはつまり、ツッコミには「見てる人を笑かそう」という意図があるということだ。だから絵のついている映画や漫画でツッコミをすると説明過多になる可能性が高い。現にほとんどのギャグ漫画はそうなっている。

そして漫才というのは、見ている観客も芸人がネタをやっているというのはわかった上で見ている。簡単に言うと、二人がふざけあっているのをわかってみている。

テレビのバラエティ番組で考えるとわかりやすい。テレビでも芸人が何かボケてツッコミの人がツッコむ。それだって世間話をしながらふざけあっているようなものだ。我々視聴者はそれを眺めて笑う。

つまりボケツッコミをやった時点でふざけあっているということになる。それを漫画内でやると、キャラ同士がふざけあっている印象になる。ボケ役のキャラクターはわざとボケているように見えるし、ツッコミ役のキャラはそのノリに付き合ってツッコんでいるように見える。

そういう意図のシーンならいい。キャラ同士の仲が良いから二人で遊んでいるというシーンならそれも面白い。でもそうじゃない別の目的があるシーンでボケツッコミをやるのはおかしい。なぜならツッコミは説明だからだ。もしそうだとするならツッコミ役のキャラは一体誰に説明していることになるのか。

上で説明過多と書いたのはそういうことで、読者に「ここは笑いどころですよ」と説明しているようなものだ。でもキャラは漫画の世界の中に生きているから読者を意識した時点で作品世界が崩壊する。(わざとやってるのもあるけど)

とは言っても普段の生活で友達同士で会話してる時にツッコミ役ボケ役になんとなく別れる時もある。でもそんな時のボケツッコミなんてもっと自然なやりとりのはず。

例えば
「お前友達いないもんな」
「うるせぇわ」
くらいのものだ。でもこのくらいだったらボケツッコミとも呼ばないレベルだし。

漫画でギャグシーンをやるのであれば絵的に面白いことをするべき。さらに言えば、もしキャラがふざけているわけでないのなら、物語的な必然性も必須。だってふざけてるわけじゃないのに変なことをするってそれただの頭のおかしい人だからね。それをやるとキャラがぶれるからね。だから『真剣に行動した結果、変な状況になる』というのが大事。


例えばゾンビの大群に襲われないようにするために、ゾンビのふりをして「あーー」とうめき声を上げながら歩くシーンがあったとする。

そこではみんなふざけているわけではない。真剣だ。生き残りたいが故に、必死に白目むいて口を開けて、横のゾンビをチラチラと気にしながらフラついて歩く。物語的にも「そうするしかないんだ」という必然性もある。でもその光景をはたから見てると滑稽で笑えてくる、という感じ。

こういうシーンはやっぱり口頭では説明し辛いし、絵を見て初めてその滑稽さが伝わる。

とにかく、ボケツッコミで展開するギャグシーンは漫画ならではの表現ではないし、架空のキャラを動かす物語上では非常に難しい。だから安易に使っては寒いだけだと思う。

こういうのも全てテレビに毒されているが故に起こることなのかなぁ。
ツッコミのないギャグをシュールとか言ったりするもんなぁ…。