愚かなる独白

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ろくでなしの雑記

マナーを守る奴はただのビビり。迷惑をかけることは悪いことじゃない

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老子「人にどう思われるかを気にやむのは、囚人として生きることと同じだ」

 最近、過度に他人に迷惑をかけることを嫌がる人をネット上で見かける。他人に迷惑をかけることだけは絶対にいけないことだということをやたらと主張する。しかし本当にそうだろうか。自分は迷惑をかけられたくないが、だからと言って自分が迷惑をかけてはいけないという論理にはならないのではないか。そもそも他人に迷惑をかけずに生きることは不可能だ。なのに迷惑になっていないかを気にしすぎると自分が生きづらくなるだけではないだろうか。

 僕は他人に迷惑をかけるのは良くないとは思うが、そのことに関して気にしないようにしているし、もっと言えば悪くないと思うようにしていると言ってもいいかもしれない。なぜなら、何をもって迷惑になるかはわからないから防ぎようがないからだ。

 迷惑というのは他人のしたことで不快になることを指すが、何で不快になるかは他人が決めることであって自分が決めることではないので、あきらかに社会的に迷惑行為だとされていることはやっちゃダメだが、それ以外のことはどんどんやればいいと思う。その結果迷惑だと言われても、その相手が迷惑がることが自分にとって不利益になるのであればやめるべきだが、そうでないのなら無視するのが正解だ。迷惑がっている人が怒ることが自分にとって影響がないのであれば関係ないのに、それを気にするのはその関係ない人にコントロールされているのと同じことだ。

 

自由になるには他人の目を気にしない必要がある

 他人の目を気にすると、どんどん自分のやれることが少なくなっていく。心当たりがある人もいるのではないだろうか。逆に世間でも他人の目を気にしていない人というのはたまにいるが、そういう人たちはすごく自由に行動している。どっちが得かは言うまでもない。

 

他人の目を気にするのはコントロールされるということ

 つまり他人の目を気にするのは他人にコントロールされていることと同義だ。そして他人に迷惑をかけたくないという思いは、他人の目を気にしているということ。つまり、過度に迷惑をかけないように努めることは、他人にコントロールされて自由を失うことなのだ。

 

他人が迷惑かどうかは自分には関係がない

 上にも書いた通り、他人が迷惑がっていても自分には関係がない。ちょっと酷いことを言えば、他人が痛がっていても自分は痛くないから問題無いということだ。なのに他人が迷惑がっていたりするのを気にしてしまう。「お前が勝手に迷惑がってるだけじゃん」と開き直ることも時には必要だ。

 

マナーを守ることは他人の目を気にしてビビっているだけ

 マナーも同じだ。マナーを何故気にするかというと他人に嫌がられないためだ。しかし、それは裏を返せばビビっているということだ。考えてみればそうだろう。不良が校則を破るのは先生にビビっていないからできることだ。なのにマナーを守っていない人を非難するのはおかしい。文句を言うなら自分もすればいいだけの話だろう。だからそもそも、そのマナーを破ることで自分に不利益がないと判断すれば、そのマナーは守らなくてもいい。全部損得で判断すればいいのだ。

 

全てはバランスが大事

 かといってあまりに迷惑行為を厭わなかったり、マナーを破ってばかりでは敵が増える可能性が高い。そうなると、自由になろうとして気にしなくしたことが逆に自由を奪っていることになる。だから結局はバランスが大事なのだ。自分にとって不利益になると思ったことはやらずに、大した不利益にならないと判断すればやればいい。迷惑をかけることを過度に恐れるのはやめよう。

 

 こうすることで少しでも自由に生きられる。当たり前の話だが、こういう話をすれば、人は自分が迷惑かけられる側となって考えたりするから「それはダメだ」と言って否定する。だが迷惑かけてしまう側の視点から考えると、ある程度迷惑かけても良いという結論になるのは仕方がない。自分が損しないようにと考えての他者への気を使った行動が、行き過ぎると逆に自分が損する行動となっているからだ。そんなバカバカしいことはないだろう。だからこの意見を否定する意見は、それこそ無視すればいい。